世界ではじめのクリスマス
Dec 22, 2003

クリスマスはCHRIST(キリスト)+MAS(お祭り)のふたつの言葉の合成語で、神の子イエス・キリストの誕生を祝う日です。二千年以上も前のその誕生は決して華やかなものではありませんでした。当時ユダヤのナザレ村に住んでいた大工ヨセフとマリアは、住民登録のため、ヨセフの故郷ベツレヘムへ向かいます。ヨセフは歩き、身重のマリアはロバに乗ってたどりつきますが、宿はどこもいっぱいで、やっと頼みこんで馬小屋に泊めてもらいます。その夜、月満ちて赤子のイエスが産声をあげ布にくるまれて飼葉おけに寝かされたのが、世界で最初のクリスマスでした。目立つものは何ひとつなく、普通の子どもが生まれるのと同じで、その誕生もまた普通の人に、まず知らされたのです。

 イエスの誕生を天のみ使いが最初に告げたのは、羊の番をしながら野宿をしていた貧しい羊飼いたちでした。羊飼いの仕事は神殿に捧げるための羊の群れを牧することが役目だったため、職業的には見下げられていました。神は身分の上下をみられる方ではありません。世の罪をとりのぞく神の子羊としてこられたイエス誕生の知らせが、神殿用の羊の世話をしていた羊飼いたちに最初にとどいたということは、意味深いことです。野に働く普通の人々、貧しく、とるに足らないような人々、しかし、忠実にみずからのつとめを果たしているものに、神はかならず目をとめられます。イエス自身けっして特別な人ではなく、普通の姿でこの世に来られました。そのことは、私たちにとっておおきな心のよりどころです。信仰の基礎は神が私のようなものをも心にかけてくださったということを知ることだからです。それに気づくことから神と我との関係がしっかり結ばれるようになるからからです。羊飼いたちは、素朴な仕事に従事していると同時に素直な信仰の持主でした。また信じたことをすぐ行動に移せる大胆さも持っていました。神のよびかけに対して、すぐに立ち上がってのです。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどり子をさがし当てた。。。と聖書は記しています。<新約聖書ルカによる福音書第二章>

 羊飼いのように素直に受けて立ちあがって神のもとにかけつけたものは、神がなさった出来事をみることができます。信仰の継続は神がなさる業をみせてもらうことに他なりません。さがし当てたみどり子イエスを通して、私たちは神を身近に知ることができるのです。神の子が人のかたちをもって人々の間に住まわれたということは、現実の世界に神が飛び込まれたということです。イエスはおごそかな雰囲気のなかで拝まれたり、崇められたりされるために来たのではありません。仕えられるためではなく、神の僕として人々に仕えるために具体的な生活のなかに入ってこられたのです。究極的には、私たちの心のなかに共に住んでくださり、ひとりびとりが歩む人生の道となり、真理となり、いのちとなってくださるのです。そこにイエスの姿があり、神の子が受肉して生まれてきたという厳粛な意義があります。布にくるまれ飼葉おけに寝かされた神の子の誕生、そしてその知らせがまず素朴な羊飼いたちに告げられた背景には、どんな環境にある人でも、どんな身分の人でも神は顧みることができる方だという意味がふくまれています。今年のクリスマスにあなたにも神との出会いのチャンスがおとづれますように。