Happy Thanksgiving(感謝祭おめでとうございます)
Nov 14, 2004


 16世紀はじめ、ヨーロッパでは教会が最高の権威と力をもち、個人の信仰はその下におかれていました。そのことに疑問をもった若き修道僧マルチン・ルターが「95ケ条の論題」をヴィッテンベルクの城教会の扉に掲げたことがきっかけとなり、ドイツを中心に宗教改革の波がひろがります。その結果、最高権威は人間の集まりである教会ではなく、神から人間に与えられたメッセージである「聖書」にありとする聖書信仰が確立されるのです。

 17世紀になって、イギリスの聖書信仰に立つ教会グループが国家宗教の弾圧と迫害から逃れるためにアメリカ移住を決意。1620年8月、ピルグリム・ファーザーの名でしられる約百名の一団がメイフラワー号に乗り込み、イギリスを船出して理想郷アメリカをめざします。 当時の大西洋横断の航海は並大抵のものではありませんでした。大西洋の荒波の上で、まるで水に浮かぶコルクの栓のようにローリング、ピッチングのくりかえし。百人がつめこまれた船室はバレー・コートの広さで、プライバシイはもとより、子供の泣き声や船酔いのうめき声が絶えず、まして空気も悪く、食事もままならぬ上にトイレとなると・・・ これはまさに想像を絶する船旅だったことでしょう。

 11月9日、66日間の航海を無事終えたメイフラワー号は、アメリカ東海岸に到着します。ニューイングランド州プリマスに上陸して新天地での生活をはじめます。しかし、長い航海の疲れのまま、すぐに迎えた冬は入植者たちには過酷で、12月に6人が死亡、1月にはさらに8人、2月になると一日に2人が倒れ、春を待たずに死んだ者の数は、ついに祖国をあとにした約半数にあたる47人にのぼりました。

 寒さもやっとやわらぎ始めたころ、入植地に裸の上半身に腰布だけをまとった背の高い先住民が姿を現しました。開口一番、見事な英語で「Welcome」といいながら歓迎のしるしに両手をさしだしたのです。一同は驚きました。話をきくと、その地方に住むAlgonquin族のひとりで名前はSamoset。沖合いにきたイギリス漁船の船長から英語を習ったということでした。そのあと、Wampanoag族のMassasoit酋長も植民地をおとずれ、先住民と入植者がお互いに生活をかき乱されることがないようにと両者の合意で「メイフラワー契約」が結ばれます。4月はトーモロコシの植付期。先住民Squantが入植地で種まきを教え、茎がのびると、その間にカボチャを栽培させ、そのほかにも、鹿狩り、いちご摘み、ビーバーの毛皮のなめし方法などを手ほどきします。ヨーロッパ人が先住民から教えられたアメリカ大陸原産の農作物は、このほかにタバコ、じゃがいも、ピ−ナツ、ココア、やまいも、いんげん、タピオカ、メロンなど数多くあります。現在はアメリカは世界最大の農産物輸出国になっていますが、なんとその農産物の7分の4は先住民から教えられたものです。


 夏が過ぎ、収穫の秋がやってきました。入植者たちの心には、この一年をふりかえって未知の国で無事に過ごせたことへの感謝、また豊かな大地からの恵みに対して、創造主である神への「感謝」の気持ちがわきあがってきます。と同時に自分たち入植者をこころよく迎え入れて、親身になって助けてくれた先住民に対する「お礼」の気持ちも強くなってきたのです。そこで、行政責任者であるWilliam Bradfordは休日を定め、Massasoit酋長を招いてささやかな集いを行うことにしました。ところが、予定日の一日前なのに早々と酋長は一族郎党総勢90人をひき連れてあらわれるたのです。これには清教徒たちはとまどってしまいます。ご馳走を振舞うには、苦労して貯めた自分たちの穀物倉庫を空にしなくてはならない。といって約束は果たさなければ。その悩みを知ってか知らずか、酋長は彼らの前で自分たちが持参した品物をひろげます。そこには、鹿5頭、七面鳥12羽、トーモロコシ・パン、トーモロコシ・プディングそしてポップコーンまであるではありませんか。これぞ、まさに「持ち寄り会食」の第一号!このとき丸3日つづいた民族、言語、習俗をこえたインターナショナル・ディナーが、世界ではじめの感謝祭となりました。そして、今もその慣習がひきつがれて各国で祝われるようになっていったのです。

 そのあと清教徒たちは続々と海をわたり、1628年から1642年までの14年間に2万人がサレムとボストンに移住します。教会は新入植地における共同体の精神生活と社会生活との中心となっていきました。教会の牧師は大学卒業者で大部分はケンブリッジで教育を受けており、彼らは権威をもって聖書を自分たちの個人生活や社会生活にいかに適用すべきかを解き明かしたのです。同時に神のメッセージは先住民にも伝えられていきました。ジョン・エリオットは聖書を先住民のことばに翻訳することを手がけ、1661年には新約聖書を、2年後の1663年には旧約聖書を翻訳刊行しました。

 聖書は「感謝」のことばの宝庫であり、信仰とは「感謝」の心を含むものです。しかしその感謝を忘れがちなのが人間です。感謝祭を迎えるにあたり、私たちも謙虚に立ち止まって、すべてが神の創造の御業になるものであることを、静かに思い起こし、感謝しようではありませんか。

“全地よ。 主に向かって喜びの声をあげよ。 喜び歌いつつ御前に来たれ。知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧の羊である。感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。主はいつくしみ深く その恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る“   <感謝の賛歌> 旧約聖書 詩篇100篇