2005年旅立ちメッセージ
Jan 1, 2005

 2005年明けましておめでとうございます。「災」の字に集約される行く年が、降り積もる雪にかぶさって来る年にずれ込んだ感じのする年明けになりました。台風、地震、津波、雪害など自然はときにそのきびしさをさらけ出し、人々の生活をさまたげるようです。 そうした自然災害に加えて、世界的に戦乱、テロ活動、誘拐殺人、不正行為摘発など暗いニュースばかりがトップ記事を飾る国内外ともに多事多難な年となりました。せめて「新年」を迎えることで、こうした忌まわしい「旧年」から抜け出したいと思っても無理はありません。 
 
 事実、明日だけはだれにでも平等に「手づかず」でやってきます。たしかに昨日は過ぎてしまった。明日はわからない。そして手元にあるのは今日だけです。今日は昨日の明日ですから、今日を大事にすることが、明日を築くことになります。その点では新しい一年が私たちとともにあるのではなく、新しい一日が私たちとともにあるといわなくてはなりません。一日だけの部屋で私たちは生活を営んでいくからです。その一日一日は、真っ白なページでやってきます。ページはまた一枚づつ、その時その時に応じてめくられるので、けっして先取りされるものではありません。「主よ、あなたは私に、きよらかな新しい年を与えてくださいました。どうか、私を助け、そのページをそこなうことなく、美しく保つもとを得させてください。その巻物に情け深い思いだけを書きしるし、見苦しいしみによって汚すことのありませんように。これほどに白く、清純で、汚れのないこのページを、私の思い、言葉、あるいは行いによって傷つけることのないように守ってください。私があなたの助けを必要とするとき、あなたは常にそこに立っておられることを知らしめて下さい。(新年の祈り)」 I.S.エリス) 旧約聖書の中でイスラエルの民は荒野をさまよう苦しい経験を味わいました。その時に彼らを励ましたのが、神からの約束の言葉でした。「そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。(申命記11.12)」 この言葉に勇気と希望と確信を与えられて40年間の荒野の旅を耐えしのんで乳と蜜の流れる約束の地に入ることができたのです。

 新しい年の第一歩を踏み出すにあたって、私たちに対する神からの助けは、ひとりびとりの日々の体験のただ中で、すこしづつ「示し出されるもの」です。私たちの主観や想像の産物ではなく、神の側からの働きに私たちが積極的に応えていくときに、神の方が近づいてきて助けが現実となります。私たちの方で呼び求めて、拝んでご利益をたのむ神様ではなくて、絶えず神の方で私たちの上に目を留めて近づこうとしておられる父が真の創造神です。 過去(past)、現在(present)、未来(future)のうち現在はプレゼントという訳語です。天からさずかった贈り物として「今」の時に神はご自分を示してくださいます。今日という日に神と出会い、神とともに歩み、神からの助けを経験することで、もうひとつのプレゼントの意味である存在感も味わってください。明日の約束の実現は、今日の決断次第です。2005年の旅立ちが皆様ひとりびとりが神の存在をさらに身近に感じる歩みとなるようにお祈りしています。