十字架をめぐる人々ーイエスの受難と復活
Mar 22, 2005

春分のあと、最初の満月がめぐってくると、次の日曜日がイースター(復活節)です。イースターの名前はゲルマンの春の女神に由来するもので、冬に連想される死からよみがえられたイエス・キリストを記念するにはふさわしい春の行事といえます。

今から二千年前のその時、エルサレムではユダヤ三大祭のひとつ過越祭が開かれていました。その祭りのさなか、ユダヤ人による奇妙な裁判がひらかれたのです。裁かれるのは、5日前、しゅろの木の枝をうちふる群衆に「ユダヤ人の新しい王万歳!」と歓呼の声で迎えられたイエス。 裁くのは、かねてからイエスに嫉妬心を燃やしているユダヤ人指導者、邪魔者は殺せの権力者、気に食わぬものは追い払えの実力者、無実の証拠には目をつむる断罪者、付和雷同する群衆など、これではまともな裁判になるわけがありません。当時、司法権はローマ帝国にあったので、最後の裁決はユダヤの総督ポンテオ・ピラトに任せられました。良識あるピラトに悪意はなく、イエスの無罪がわかっているだけに、なんとか釈放したいと本音では願いながら、群衆のはげしい叫びに負けてしまいます。「もし、この男を釈放するなら、あなたはカイザル(ローマ皇帝)の味方ではない。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」 この言葉を聞いたとき、ピラトは身の危険を感じます。「ローマに直訴されたら大変だ。自分の首があぶない。」 ピラトは群衆の目の前で水を取り寄せ、「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」と手を洗います。ここでピラトは、真実に目をつぶり、裁判で自分を偽って決断を下すのです。この瞬間、ピラトはイエスを苦しませたものとして、教会で読まれる使徒信条のなかで名を残すことになります。いまだにある村では、嵐の夜、山の上に雷鳴がとどろき、稲妻がきらめくと、そこにピラトが手を洗っている姿がみえるという言い伝えが残っています。歴史に「もし」は禁句ですが、もしピラトが正しく、敢然と、ふみとどまっていたら… 明日では遅すぎるのです。

裁きが終わり、刑が決まり、イエスは十字架につけられます。金曜日の正午近く、真昼間だというのに暗闇が地をおおい、太陽は光を失い、天地は喪に服して黙します。人が神を抹殺しようとする時、世界は暗くなるのです。3時間後、突然イエスは闇に向かって叫びます。「すべが終わった。」この原語は、「炎が焼きつくすように、残すことなく完全に成し終えた」という意味です。人類の先祖は、神に対する思いあがりから創造神と断絶してしまい、断絶が罪の世界を生んでしまったのです。ところが、神はみずから人との関係をとりもどすために、ひとり子イエス・キリストを罪の贖いとしてささげられました。神殿で罪がゆるされるための犠牲の小羊が焼き尽くされる過越の祭りが行われているその時、神の備えの小羊となられたキリストは全人類を罪から贖うために十字架につけられたのです。
 
 十字架のもとで、すべてを見守っていたひとびとは、イエスの死に深い感動をおぼえました。威厳にみちた苦難の瞬間、神ならではの寛容、平和な死際、そして最後の勝利宣言。一部始終をつぶさに見ていた刑の執行責任者である百人隊長および部下のものたちは、非常な畏れを感じ、この方はまことに神の子であった。」と言いました。神学も知らない、説教を聞いたこともない、議論もしたことのない異邦人が、はっきり神の子だと確信し、そのことを告白したのです。かたくなな人の心が神の愛にとかされたのです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネの福音書3.16) イエスの血のしたたりが、最初の実を結びました。この告白は、二千年後の現在、無数の人々によって教会の使徒信条のなかで、「我は神の子、主イエス・キリストを信ず」とくりかえされているのです。

 パレスチナの習慣では、死体が墓におさめられてから、三日後に墓を訪問するのがならわしでした。そこで、週のはじめの朝早く、女たち(マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、サロメ)が、準備しておいた香料をもって墓に着きます。見ると、石が墓からわきにころがしてあり、はいって見ると、主イエスのからだはありません。そこに、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来てこう告げるのです。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。 よみがえられたのです。人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」 女たちはイエスのことばを思い出し、墓からもどって十一弟子とそのほかの人たち全部にそのことを報告するのです。

 空虚な墓、よみがえった主イエス。どのようにして復活されたのかはどこにも書いてありません。いまだに誰にもわかりません。ただわかることは、墓が空であったことと、それにより、私たちが今も復活のキリストを信じることができるということです。イエスの生誕も復活もみつかいに告げられたものでした。人間が考えて理解し、納得するかたちで起こったことではありません。たとえそうであったとしても疑い深いのが人間です。信じたくないものは信じないとなると、問題は復活にあるのか、それとも信じられない側にあるのかということになります。学問の世界で神をたずねられなくても、生きた神は、生きた信仰のなかでつかむことができるのです。聖書も神の啓示の書であってみれば、神を知るためには生きたことばに養われなくてはなりません。「神と我」という関係のなかですこしずつ理解を深めながら、やがてついに信じ切って神にひらかれた心となったとき、私たちは戦いのたえない人生に勝利をあげることができるのです。その点、「復活」もまた「十字架」とおなじく神の勝利宣言といえるでしょう。

 こんにち、世界は深刻な問題であふれ、人々はひどい痛みと不安にうちひしがれています。この世で最終的な勝利をもたらせてくれるのは、キリストの十字架と復活の力です。私たちの罪の身代わりになって死を遂げてくださったイエスは、墓をうち破ってよみがえられ、今も生きて、私たちとともにおられるインマヌエルの神です。その神との出会いが、暗闇に光を、悩む心に平安を、与えてくれるのです。