故久子を偲んで寄せられたメッセージ集(敬称略)
Oct 22, 2006

キトである日、奥様が「私はひどい結核をわずらったし、もう結婚はできないと思っていたので、結婚もでき、3人も子供を持てたなんて有難くて。尾崎と出会ったのはただ恵み。本当に嬉しいの。」と静かに話してくださったことがありました。日本出発のあと、幼い道ちゃんを連れてのアメリカの教会回り、その転々とした中での慶子ちゃんの誕生。エクアドルでの日本人第一号の祐ちゃん出産。いずれも女の身でさぞかし不安な経験であられたと写るのですが、その試練を、妻として、母として、たくましく乗り越え生きてこられたのは主の恵みとそれを感謝する久子さまの信仰だったのですね。そのことが今、私の胸に切実に伝わってきます。このような恵みあふれるご生涯を設けてくださった主をこころから讃えます。豊かな豊かな祝福がご家族の上にございますように。(内田 芳江)

日本語放送が再開されて喜んでおりましたが、久子さんのお声が聞けなくなり残念でなりません。 BCLブーム(1970年代)の頃からのファンですが、久子さんは母のようなお優しい声で私たちリスナーを包みこんでくださいました。長年のご貢献に感謝いたします。(辻 由起子)

私がお世話になった頃、久子さんは主婦として、母親として、そして宣教放送の片腕となって休む間もなく過ごしておられました。そんな忙しさのなかにあって、いつも穏やかで、お話をしているうちに彼女の雰囲気がこちらにも伝わってきて、何となく気持ちが明るくなることが何度もありました。きっと相手を丸ごと受け入れる大きなハートで回りの人々に笑顔で接しておられたのでしょう。懐かしく思い返しています。(Barmettler 吉野真佐美)

突然の悲しいお知らせを聞き今でも信じられない気持ちです。僕は小さい頃から親のように思っていたからです。家族同様にお世話になったので、尾崎の“おばちゃん”とはいい思い出ばかりです。サッカー、バスケットの試合に大声で応援してもらったり、海岸での家族キャンプなどが忘れられません。 “おばちゃん”も楽しいさまざまな思い出とともに天国にいかれたことでしょう。(田辺 洋樹)

久子夫人が神に召され、遠くに旅立たれたことはメールマガジンで知りましたので、すぐにJSWC(日本短波クラブ)の皆様にも会誌速報でお知らせしました。信仰の力でしょう。久子さんもよく頑張られたと思います。長年にわたって、日本のBCL(短波放送愛聴者)で久子さんのお手紙をいただいた方がどれほどいることでしょう。私をふくめて、いつまでも久子夫人のことは忘れないと思います。(大武 逞伯)

奥様の久子さんが天に召されたとのこと、心からお悔やみ申し上げます。エクアドルからの「アンデスの声」の放送を父が楽しみにして聞いていた頃を思い出します。受信報告書をお送りして、その受信確認書(ベリカード)が送られてくるのを毎回楽しみにしていました。久子さんが返信してくださっていたのですね。目が見えない父を、尾崎さんご夫妻で横浜の汐見台に見舞ってくださったことを私は今でもよく覚えています。                     (Aird 田口やよい)

メールマガジンを読ませていただき、奥様の訃報を知りました。心からお悔やみ申し上げます。読みながら途中で言葉にならない悲しみがこみ上げてきました。我々短波放送愛好家の中でもお母さんのような存在でしたので、とてもつらいです。謹んでご冥福を祈ります。(齋藤 弘一)

昇天前後の久子様のご様子を読ませていただきながら、45年間ともに働かれた伴侶を天におくられた先生のお気持ちを察し感涙を催しつつこの便りをしたためております。久子様のお優しいお手紙に喜んだり、励まされたりした私も今年で96歳になりました。弱いものですが信仰を全うさせていただき天国で久子様とお会いできることを願っています。主のお慰めとお励ましが豊かにありますように。(杉村 秀子)