感謝祭について
Nov 20, 2006

11月になると感謝祭がやってきます。これはアメリカ建国物語にまつわる祝祭日で、 1620年、ヨーロッパから新天地を求めて大西洋を横断してアメリカに入植した一団の人々が、最初の収穫を神に感謝したことに由来します。各家庭では第四週の木曜日に家族や友人たちが集まって七面鳥料理に舌鼓をうちます。当時、104人の「ピルグリム・ファーザーズ(旅人の始祖)」とよばれる清教徒たちが米東海岸に到達したときは、厳寒の冬と壊血病のために、半数以上が死んでいきました。同情したインディアン(先住民)たちは新来者たちに、かばの木の皮で雪靴をつくったり、ぶなの木の樹皮でカヌーをつくったりする方法を親切に教えます。翌年の秋。先住民たちから習いおぼえた農耕が実をむすび、越冬できるだけの収穫をあげることができ、その祝宴がひらかれます。野生の七面鳥がテーブルにならべられると、インディアンたちは射止めた鹿をそれに添えます。その喜びと収穫の主である神への感謝をともにしたのが感謝祭のはじまりでした。

「メイフラワー号」でプリマスに入港した清教徒の指導者たちは、イギリスの中産階級出身で神学、法律の教養を十分もっていました。上陸にさきだち船の上で「メイフラワー誓約書」を起草し、そのなかで「神と各自相互の前で契約により結合して、植民地一般の幸福のため、共同の秩序と安全を保ち進める」と誓い合ったのです。にもかかわらず、ヨーロッパからの植民者の数が増え、もともと「遊牧の民」であった先住民の数が少数派になると,各地で両者の間に対立や紛争がおこりはじめます。友好関係が次第に敵対関係に塗りかえられていきます。インディアンにとって白人との接触はあまりにも与えることのみ多く、また奪われることの多い軌跡を歴史に刻みこみました。

「分ち合う」「感謝する」そうした第一のことを第一にしないことからバランスはくずれるようです。この激動の中、何を第一にしなければならないのか、歴史に学びながら、視線をうつしてもういちど足下をみつめ直してみたいものです。「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎しみ合うのにまさる。」これは、旧約聖書の箴言15章17節に書かれている言葉です。