シカゴ近況
Mar 16, 2007

日本語放送が再開されて8ヶ月、HCJB放送局のスタジオとは違って、自宅の一部屋で怪しげな雑音を交えながらの番組づくりでしたが、ようやくパソコンの編集機能もつかいこなせるようになり、電波を発信するオーストラリア局との連携も軌道にのりはじめたところです。

何の前ぶれもなくシカゴ空港に降り立ったばかりだというの永六輔さんから電話をもらいました。TBSラジオの土曜ワイド海外版で生中継のための訪米でした。

「日本語放送をしている牧師がシカゴにいると、東村山に住むリスナーからきいたのですが・・・」
「私がそうです。南米の日本人移住者向けにエクアドルから放送をしてきましたが、時代の流れで今はシカゴに移ってきましたが放送だけは続けています」
「そうでしたか。あなたとボクはちょうど裏と表みたいな放送ですね」
「あなたもボクと同じ年代?」
「私の方が少しお兄さんです」
「声だけきいていると若いですね」
「はい、昔から声(恋)は魔物と申します」

永さんも現役。私も定年無視。ある著書で永さんは、「生きているではない。生かされているのだ。二本ある手のどちらかは誰かのために使えるように、が父親の口癖だった」と書いていましたが、わたしにも役にたつことがあるかぎり永さんに習って奉仕をつづけさせてもらいたいと思わされました。短波放送は「裏」と評されても、むしろそのような陰にいる人たちと放送を共有できることが私は特権であるように感じます。これからも南米のリスナーをたずねた収録番組「南米ふれあいの旅」の日本篇を完成させるため、機会をみつけて取材に励みたいと意欲を燃やしています。もっとも、永さんの番組は「表」の放送だっただけに思いがけない人たちからの反響が私にもありました。

「畑の仕事をしながらラジオを聴いていたら、TBS永六輔のトーク番組がシカゴからの生放送で、永さんが尾崎先生のことを話しておられました。電話をかけて近況をきかれ、最近一緒に放送をされていた奥様を亡くされたこと、また短波ラジオで放送が再開されたことなどを紹介していました。思いがけず素晴らしい放送がきけてよかったと感謝しています」これは笠間焼の里に住む飯田さんからのお便りです。その他、メールで33年前に腹話術の研修会でいっしょだった人、エクアドルに民族音楽修行にきてお世話したことのある人など、音信が途絶えていた人たちなどからの便りが舞い込み、久子がいたらきっとキト時代の話を思い出しながら懐かしんだのにと残念に思いました。

2月中旬はマイアミの教会で、3月はテネシーの教会で日本語放送の現況報告をしてきました。多くの人たちが背後で祈りながらサポートしてくださっています。放送を聞いている人たちから良い反響があることをきいてみんな喜んでいました。シカゴ空港では日本短波クラブの代表として「短波リスナーの集い」に出席された大武逞伯さんと待ち合わせて我家に寄ってもらいました。そのときの対談を3月17日と14日のサタデー・トーク「ふれあい短波」で放送しますのでどうぞおききください。

ひと暴れした冬将軍の姿もやっと遠のきました。風に舞うダイヤモンド・ダストの世界から青い芽がふきラッパ水仙が黄色い花をちりばめる花の世界へと、春は足音を早めて確実にちかづいてきています。

HCJB日本語放送担当  尾崎一夫