お便りの中から    
 2008年12月

約20年振りにBCLを再開した40歳のリスナーです。BCLブームがおさまりかけた頃か
ら受信しはじめ高校受験で中断しました。大学生時代にはニュージランドへ短波ラジオ持参で出かけましたがそのとき以来です。インターネット全盛で短波の国際放送が削減されるなかでHCJB日本語放送が再び放送されることを知り早速週末に早起きをしてラジオにしがみつきました。私は本が好きで、昨年ふと思い立ち聖書を買いました。ベスト・セラーといわれ世界の人々を感動させ、思想の根源、生きる意味を考えさせてくれる書物を読まないではと意気こんではみたものの途中で断念してしましました。そうしたとき、今日の放送をきいて聖書を読んだところ牧師さんのお話になんとかついていくことができました。これからも聖書に馴れ親しむため放送をきき続けます。聖書に接する機会を与えてくださったことを感謝しています。(家田智之)

日本短波クラブの大武逞伯さんの出演番組番組を懐かしくききました。私がまだ高校生だった20年ほど前にずいぶんお世話になりました。また腹話術師の花島二郎さんのお話には殺伐とした世の中には笑いがお互いの心を開くために必要であることを感じさせられました。私も花島さんとおなじようにミッション系の幼稚園にいきましたが思春期になって教会へは行かなくなりました。中学、高校時代にKTWRやHCJBをよく聞いて神様のことばに触れ明治学院大学へ進学しました。2005年にPBAの紹介で早稲田教会に通うようになりました。ここ数年は苦難の日々でしたが、その間神様が放送を通じ私を教会へまた向わせてくださったことを感謝しています。「放送をきいて人々が教会へ行くだろうか」という声もあるようですが、私のように導かれる者もいますので、これからもこの壮大なミッションにお励みください。 (中村 周)
 
ナショナル製クーガRF-2200受信機でひさしぶりに聴取しました。あの頃と変わらぬ同じラジオを修理したのですよ。すると、あの頃と変わらぬ尾崎さんの声が聞こえて驚きました。覚えておられないと思いますが、私は中学生のとき南米からのHCJBの放送をききはじめ、大学生のときもお便りを出して返事をいただいたことがあります。あれから30年は経っています。エクアドルからオーストラリアへ。どのような変遷があったのでしょう。ご苦労は想像に難くありません。でも全然お変わりないように感じました。(皆藤 誠)

先日、ふと立ち寄った本屋で偶然みつけたBCLの本。懐かしさで購入してページをひらいてみると当時熱中した放送局の数々。私が短波放送を聞いたのは1977年中学生の頃でした。早速、ラジオを購入し、うろ覚えの知識でアンテナを自作して耳を傾けてもなかなかコツがつかめずにいたところ、飛びこんできたのがHCJBでした。BCLファン人気局の「アンデスの声」ではないですか。エクアドルとオーストラリアの違いはあるにせよ私にとっては、それこそ感動の一瞬でした。ひさしぶりに純粋な気持ちになりました。今後一層努力して受信して行きたいと思います。(小松竜太郎)

 壱岐ご出身の松田真理子さんとの対談を楽しく拝聴いたしました。やぁ~、「いきいき」、「ハツラツ」とされています。壱岐からシカゴにお嫁入りされたバイタリティーは、衰えることを知らず、まだ、加速しているようにも感じました。海外におられる女性はどうしてこうもエネルギッシュなのでしょうか? 2008年12月28日(日曜日)今年最後の放送も大変良好でした。峯野先生のお話しは、「終わり」についてでした。達成感のある終わり、挫折感のある終わり、評価が下される終わりと3つについてお話しされました。年の終わりに色々考えさせられるメッセージでした。2009年もお元気な声を是非お聞かせ下さい。HCJBの放送は、私の週末の楽しみであり、生活の一部です。(永野正和)

                         (敬称略/順不同)